2月11日(日曜日)

 

あっという間に2月も半ば。

 

お休みの日は今しかできないバラやクレマチスの鉢の植え替えをやっと済ませ、やれやれです。

今週は腰痛を抱えながらのサロンワークでした。

 

さて、今月24日予定のワークショップは会場変更となりました。

 

2月24日(土曜日)

新大阪中央口より徒歩5分 新大阪トヨタビル9階

9時~19時

4000円程度(昼食ありは別料金)

ご都合によって何時からでも参加可能

 

4月になれば新学期、進学、就職など自分や家族の新しい出発に際しての期待や不安が入り交ざり

複雑な思いを抱えている方もあるでしょう。

このワークショップではどんな方でも参加可能です。

もやもやしている気持ちがあれば、聴いてもらってすっきりするかもしれません。

一人で抱え込まず、吐き出せる場所だと思って気軽においでくださればなによりです。

 

 

お問い合わせ、質問はこちらまで。

090-2386-5034

東原かなこ

 

 

明けましておめでとうございます。

震災で大変な思いをされている方々には心からお見舞いと、復興をお祈りいたします。

 

24年度の私の仕事始めは昨日の成人式から始まりました。

 

年に1度の着付けのお仕事なので、一度は手ならしをしたり持ち物の確認をしたりと前準備で結構

な仕事もあります。

 

でも無事にお仕度が終わりほっと一息です。

そして今日から通常営業となり、いつもの時間が流れています。

こうして何事もない日常に感謝です。

 

皆様のご多幸を心から願い、今年初めのご挨拶とさせていただきます。

 

12月12日(火曜日)

 

今日は久々の雨ですね。

朝は止んでいたので、歩いてきました。

あったかい朝で12度でしたが、冬って感じじゃありませんでした。

 

今月の勉強会は映画を観る会に急遽変更しました。

:グリーフケアの時代に:

梅田のシネ・リーブルで14日まで上映中です。

大切な人を亡くし、大きな悲しみと喪失感を抱えた本人達の想いと活動をドキュメンタリーで放映。

傾聴を学んできた私たちにとっては、とてもためになる映画でした。

 

さて来年2月24日(土曜日)は1日だけのワークショップを開催します。

傾聴やカウンセリングを学んでいる人も心に重たいものを抱えているいる人。

どんな方でも参加可能です。

 

新大阪青少年会館

午前9時~16時

セッション3回

昼食込みで3000円

詳しくは追ってここに掲載いたします。

 

お問い合わせをお待ちしています。

 

 

 

 

12月2日(土)

 

あっという間に12月になってしまいました。

10月から意を決して朝歩きを始めた私は、なにがあっても歩こうという毎朝です。

 

朝の空気は冷たくて空が青く、別世界のようです。

 

我が家の周りの農家さんたちは、お米の収穫や野焼きなど早くから作業されています。

今はすっかり農作業がひと段落された感じです。

今更ながらホント!

ここはいいとこだなあ・・・・

 

さてさて、

先日遠くからクライアントさんが急遽おいでになり、以前も何度か訪問されているので、近況報告もかねていろいろ聴かせていただきました。

 

こうして最初は悩みを抱えてこられた方が自分の生きる道をしっかりと求めて前へ前へと歩いて行かれる姿に感動しかありません。

今では勝手ながら母のような気持ちで、いつも遠い空の下で祈っています。

 

どうぞ、どんな話でも誰かに聴いて欲しいなあと思われた時、ご連絡くださいませ。

いつでも両手を広げて待っています。

 

11月5日(日)

 

すっかり秋です。

朝の散歩では、帰るころにはまぶしいくらいの朝日がさし、青空に鳥が飛び、とってもすがすがしい毎日です。

広い畑では燻炭の煙がたちのぼり、ご夫婦がせいを出しています。

 

こんなに平和なのに、世界中が何だか物騒な情報ばかりです。

 

子供たちの悩みの声は「一言目に死にたいといいます。」

 

どうして?

 

日本では爆弾も落ちないし、玉が飛んでくることもないのに.....

 

といってもいつまでこんな平和ボケでいられるかわかない.....

 

学校ではLGBT教育が始まっているところもありそうな。

 

日本はどうなってしまうのか!と思っているのは私だけじゃないはず。

 

でも、でも、自ら死にたいなんて思わないで!!

 

傾聴ではそれは言葉には出せず、心の中で祈るばかりです。

 

でも、子供たちの死にたいは死にたくないの裏返し。

 

そんな言葉を出してしまう今の自分をわかって欲しいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あっという間に10月になり、すでにもう冬?というくらい朝晩寒くなりました。

 

なんと!

風邪ひかない私がひいてしまい、市販の漢方薬でようやく治った感じです。

 

さてさて毎日朝の庭作業は秋が一番多い。

あれこれ思案しながら、もう少し手入れが楽な庭にしようと楽しんでいます。

 

先日の傾聴勉強会では参加者がそれぞれに気づきがあり、有意義でした。

 

 

8月20日

 

お盆休みも終わり、残暑残暑、毎日暑い中でも朝から汗を流しています。

 

昨日は母の命日供養で、娘と二人実家へ帰りました。

お昼は近所のお蕎麦屋せんへ。

姉のおごりに娘は「おばあちゃんのお金?」と聞いた。

ここは私のお金よ。このくらいはオーケーよ。大きなお金はよろしくね。」と姉。

帰りの車中「大きなお金はよろしくってどいうこと?あの人時々おかしなこというね?」と娘。

「冗談よ。子供もいないし、独り身なので経済のことはしっかりやってはるからだいじょうよ。迷惑かけるようなことは絶対ないから安心しとき。」

と私は言った。

 

このところの娘は無口です。何か考えることがあるのかと思いながらそっと見ていた。

パートナーはいるものの結婚する気は二人共にない様子。

私はどちらにしても口を出すつもりはない。

 

もしこのままずっと独身を通した時の経済の不安があるのかしら?

私からすれば一人っ子なので、ほんのわずかな財産でも誰かと争うこともない。

 

しかし、最近の国の政策は国民を締め付けることばかり。金利や年金など諸々。政府を信頼できないことばかり。

なら、自分が情報入手し、最低限生き延びるための勉強をすればいいじゃない。と私は思っているが、娘はどう思っているかわかない。

 

がしかし、最近娘の買ってきた本を2冊借りて読んだ。

2冊ともとてもおもしろく、感動もあった。

 

アインが見た青い空

君たちは どう生きるか

 

 

前者は技能実習制度で日本に来たベトナムの女の子の話で、技能実習とは名ばかりの出稼ぎ労働者の話で、日本の政策の暗い闇を暴露している。

ある程度知っているつもりだったが、ますます日本は今のままではどうなっていくのかと危惧せずにはいられない。

 

後者は、すでに50年近く前に亡くなっている、児童文学者吉野源三郎の本。

これは、今の日本人が取り戻すべき、日本人としての心を書いている。

 

娘が数ある本の中からこの本を手に取ったことが、私にはなによりも嬉しかったのだ。

私自身にとっても、忘れかけていた大切なことを、今一度呼び覚ますことができてほんとうに良かった。

機会があれば娘の感想を聞いてみたい。

 

 

7月11日(火)

おはようございます。

休み明けの今日も朝から汗をかいています。

お休みの昨日も子供たちのボランティア。

ゆっくりやすむ暇もなく慌てて出かけ、遅刻でした。

 

疲れてぼちぼち歩く私を、娘は「ママは年取ったな」という顔で見ているようでした。

いえいえまだまだやらねばならぬ事満載ですぞ!

 

さて日本はLGBT法案を成立させ、とんでもない世の中になってしまいそうな勢いです。

性の悩み多い子供達が心配です。

 

また、子供に英語を教えておられるお客様の話。

 

入学した時からマスク生活の低学年の生徒はほぼみんな、落ち着きはなく人の言う事は聞かず、と言うより日本語が通じない。

英語なんか習ってる場合じゃない。

全員が発達障害状態だそうだ。

 

政府の間違ったコロナ対策は本当に罪深いと感じています。

国民に誤りもせず、今度はLGBTです。

一体この国はどうなっていくのかと憂います。

 

もう私は怒りも限界に達し、ちょっと頭を冷やさねばならないようです。

 

傾聴やカウンセリングをほそぼそながらやってきた私が、目の前にいる悩む人たちの話を聴くだけではどうにもならない!

政治が変わらなければ国民は救われないと感じてもおかしくないのではないでしょうか?

私の心の声を聴いて欲しいところです。

こんな私にでも、聴いて欲しい方がおられましたら、お電話なりメールくださいませ。

 

 

 

4月26日(水曜日)

大変ご無沙汰しています。

すでに秋から冬、そして春爛漫となってしまいました。

私は本業以外、子どもたちのボランティアやカウンセリングワークショップなどに時間を取られ投稿できずじまいでした。

 

ようやく落ち着きを取り戻し、かつて傾聴の家においでいただいた方々は今元気にお過ごしかどうかも気になりつつのところです。

 

先日のワークショップで数年ぶりにあった当時中学生だったA君は大学生になっていました。

あまりに久しぶりで顔もはっきり覚えておらず、その上マスクなので取ってもらうとすっかり大人の顔になっていました。

男前は一段と上がっており、びっくりでした。

しかしながら、悩み多く数年たっても生きづらい学生生活を送っている様子でした。

 

家族に励まされ、金銭的サポートも受けているらしく、学校が辛いとか、辞めたいとか言えずに苦しんでいるようだった。

 

ワークが終わり1泊延長して中之条ガーデンズに行ってきました。

素晴らしいお庭で整備は行き届いていて、広いショップの方もとても親切で感じが良かったです。

日頃目にしない宿根草の花苗や球根を荷物になるのも忘れてぶら下げて帰って来た次第です。

こうして今期は、ワーク繋がりでの旅行はほぼいろんな庭の散策でエネルギー充電しながら続いて行くのでしょう。

 

ワークでは日が明けても尚長く話続けたが、彼はさてどういう決断をしたのだろうか。

 

これからの日本を背負っていく若者たちの精神はコロナの3年間でますます疲弊してしまったようだ。

 

今のままでは本当に日本の子どもたちは救われません。

小さな小さなことしかできない自分ですが、ほんの僅かな力も集まれば大きな力になると信じて活動しています。

 

どんなことでも人に聴いてもらうことで、きっと発見や気付きがあるはずと思っています。

誰かに聴いて貰いたい時は、是非是非お問い合わせくださいませ。

 

 

10月10日(月)

今日はかつての体育の日

今はスポーツの日?

 

さてさて、来年2月のワークショップは中止ではなく開催とあいなりました!!

施設へキャンセルしたり、もう一度申し込んだり、いやはや慌てまくる私。

それにしても、97歳の先生はその日の気分か、コロコロかわる。

その心も傾聴、傾聴。

まあ嬉しい悲鳴としておきましょうか。

何事もイラッとせず、ああそうなんですね?

と受け止めれば、日々の暮らしもスムーズに運ぶのでしょうか。

傾聴療法士でもありカウンセラーの端くれの私はこんな自分を戒めては、

平常心、平常心と心の制御に勤しむ毎日です。

 

先日とても懐かしい人からの電話が。

数年前のある時、立ち止まってもいいから絶対辞めたらだめよ!

と励ましてくれた当学会の先輩からだった。

あれから私はその言葉を胸に、コロナ禍の3年間も休まずに勉強会を続けてきた。

とはいうものの、呼びかけに参加してくれる人はほんの僅か。

私はたとえたった一人の参加でも、中止することはなかった。

自分が聴いて貰わなければ、決して聴ける人にはなれませぬ。

などと言ってきた。

思えば、呼びかけている私が一番聴いて欲しい人だから...

だからきっと、これからも辞めずに呼びかけ続けていくのだろう。

 

 

9月16日(金曜日)

なんだか夏が戻って来たようなお天気です。

 

さて、私の所属するカウンセリングの学会ではコロナの関係で関西でのワークショップは中止となった。

理由は理事長がお年を召されているので、関西は危険ということだった。

まだそんなことをいってるの?と言いたいところだが、ああそうですか。と言うしかない。

たとえただの風邪でも、老人には過酷なんだろうか。

 

仲間たちは久しぶりの開催を楽しみにしていたと思うが、私も例外ではない。

私の知る情報によると、すでに次のパンデミックは予定され、すでにワクチンもできているそうな。

そんな馬鹿な!と言いたいところだが、きっとそうなんだろう。

 

ロシアの戦争は今だに収束を見せず、世界中が食料危機に直面し、日本も

農薬、化学肥料は高騰。

今年はなんとかなるかもしれないが、もう来年は全く入らないだろうと農家さんは嘆いている。

なんだか異次元の世界で生きている感じだ。

我が家の庭の草花たちにも肥料が必須だ。

じわじわと値上がっている。

今のうちに買い溜めておこうかなどと考えているところだ。

自分の食料もさることながら、草花たちにも食料はいるのだ。

 

この3年間で少しづつこんな生活に慣らせれていて、振り返れば自分は変わっていないと思ってきたが、いやいやそんなことはないようだ。

今後どうなっていくのか。

いや、どうにもならないのではないかと思ったりするのだった、

 

8月29日

朝晩涼なってきまして、秋の訪れを感じます。

お仕事以外のお仕事(?)がいろいろと増えてきて、日々のルーティン調整が必要になってきました。

私の中では秋は朝のガーデニングが必須。

やること満載で、やっと夏が過ぎようとしていてホッとしたいが、そうもいかずです。

 

さて、昨日娘との会話の中で、人生諦めが大事という話です。

娘は今の仕事や私生活に諦めを感じているのかとちょっとがっかり。

私はそれには答えられなかった。

諦めるには早すぎる。

私が娘の年の頃はといえば、家庭とサロン経営の両立でそれこそ必死の毎日だった。

諦めなど何もなかった。

今日思うに、娘は恵まれ過ぎている。

朝から夕方まで仕事をこなせば、お金の事も特に心配いらず、未婚なので、夫やその両親とのいざこざもなく、毎日ご飯は満足に食べられる。

寝床の心配もない。

なのに諦めて生きてるってどういう事なのでしょう。

機会があれば、もっと話を聴いてみたい。

現在、仕事がなくて、探しても探しても思う仕事がない。

あったとしても、ワクチン接種が条件とかもあるようだ。

娘に言わせれば、選ぶからないんだそうだ。

生活できなければ、そもそも選ぶ方がおかしいの?

自分は特に心配がないから、他人事なんだと私は心の中で思うのだった。

誰だって夢や希望を持ってもいいはず。

諦めたら終わりよ!!

と言いたかった。

 

8月3日

今日も朝から暑いです。

今朝は水やり無理でした。

あじさいがちょっぴりしおれています。

ごめんなさい。

ママは今日は腰が痛くてお休みします。

夕方まで待っててね。

 

さて、先日銀行の帰りのこと。

両手に子供の手を引いたお父さんと3人が横並びに歩いていました。

お姉ちゃんとお父さんは汗をかきながらマスクしてます。

私はお姉ちゃんのマスク外して!といいたいのをこらえて後ろを歩いていました。

お姉ちゃんはそれでも元気に手をぐるぐる回しながら歩いています。

後ろの私は危なくて歩きにくい。

思わず、「あぶないよ!」と声をかけ横を通り過ぎていくと。

お父さんが私を追いかけ、「こどもなんやからもう少し優しく言ってください」

と怒っています。

私は「手があたりそうで、危ないでしょ。」と

すると、なんと!

父親が私の車までついてきて、ナンバープレートをスマホでガチャ。

私はそのままPを出ましたが、ムカムカ。

 

 

そもそも熱くてぶっ倒れそうなのに、マスクをさせている父親にとても腹立たしく思っていたところに、娘がグルグル手を回して歩きにくい私はイラッとしたのだった。

車を運転しながら振り返ると確かに口調はきつかったかも。

それにしても、父親は娘に誤らせるのが普通だろう。

なのに、私にけちをつけるだけではなく、プレートナンバーをスマホにプチっとはどういうこと?

全くこの世の中おかしくないですか?

大人も子供もなんか変ですよ。

この期に及んでも国民は今だにマスクを外せないのか!

私が変ですか?

 

 

 

 

前回の投稿から早1ヶ月以上が過ぎてしましました。

 

選挙のための情報収集に追われていました。

なぜか?

子供たちのためになる政治家を選択するのは私の責任だからです。

今の与党はダメだ!というだけなら誰しもそうでしょう。

じゃあ誰に託せばいいんでしょうか?

 

食、教育、全てが子供たちのためになっていません。

 

日本は日本人のための環境作りをしていかなければなりません。

 

昨日ある学校の先生の話によると、今小学校では、先生がここではマスク必要なしといっても、高学年の女子は顔を隠せるからと外さないそうです。

いったいどうなっているのでしょうか?

その先生はもう心が折れそうだと嘆いていました。

科学的根拠に基づいて親が学び、子供に伝えていない!

 

小さな子供が外でもマスク。

長い坂道の通学路をマスクして自転車漕いでいる中学生を見かけると、私はわざわざ車を止めて、

マスク外しなさい。と言いたくなる。

この国は子供も大人も狂ってしまったのでしょうか?

 

またアメリカ、カルフォルニアでは干ばつが続き、牛さん達は食料の牧草がなくなり体がやせ細っていってるようです。

牧場主達は牛を手放し始めているらしい。

 

何処もかしこも食糧難の危機。

 

オランダでは農民一揆が起きてるという。

 

暗いニュースばかり。

 

子供たちのために、私のできることは?

 

6月16日(木)

今日も仕事前は小屋と庭を行ったり来たりしながら汗をかきました。

 

今国会の中継をNHKがあまり報道していない。

なんか変!

そして10万円の給付金を一人の口座に振り込んでしまったという事件。

連日ワイドショーでもこのニュースで国民の視線を引っ張っていたようです。

なんとやはりショック・ドクトリン。

 

政府は知らない間にサクッとこども家庭庁を創設しました。

子供の人権を守るとか、子供の声を聴くとか、いいようなキャチコピーですが、なんとそこでは生活レベルから成績や遺伝子レベルまで全ての個人情報を取り込まれます。

子供が声を上げる前にご親切に子供食堂ありますよなどなど言ってくるそうです。

AIが情報をキャッチし、それを元に人間が動く。

かつてアメリカではこれが逆差別になり失敗した政策でした。

日本の政府は先行する海外の失敗から学んでいません。

 

まともで普通の子供が苦しんでいる現実に憤りを感じてしまいます。

周りの子供たちはデジタルを駆使して言葉がなくても友達をつくれています。

でもそこにうまく入れない子供は一人ぽっちです。

「そこに入れない自分はおかしいんでしょうか・」

と苦しんでいる子供は、私はまともだと感じています。

そうして伝えます。

「少し安心しました。」

と言ってくれます。

でも、私はほんの一時ホッとしても、またすぐに現実の中で彼らは生きなければなりません。

そんな時、こんな子供たちにしてしまった社会、日本の政治に怒りさえ覚えます。

自分自身の責任でもあるのですが、とても虚しくなってしまいます。

 

 

 

5月27日(金曜日)

昨日の夜の雨で庭のお花が朝ずいぶん倒れていました。

どんな日もあるのだから、自然と共存しながらみんな必死で生きているんだなあ。

早速切ってお店にかざり、皆さんに見てもらいましょう。

 

さて昨日傾聴の仲間から所属する学会からも勉強会からも卒業すると連絡があり、凹んでいました。

傾聴を学ぶきっかけは、深い闇から開放されたいという思いだったと思いますが、数年が過ぎみんな少しづつ開放されつつ、平安を取り戻し始めたのでしょうか?

 

それはそれで良かったのですが、私自身は何気ない普段の生活の中で感じることを誰かと共有したい時。

それはやはり旧知の友人でも家族でもなく、傾聴やカウンセリンの仲間です。

一番気持ちが通じたと感じるのです。

それは私の言葉になっていない言葉を感じ取ってもらえるからでしょうか。

表現される言葉だけを受け取っても、本当のところはわからいものでしょう。

誰かに話してはみたものの、何か釈然としないとか、気持ちがスッキリしない。

そんなことでもいいので、どなたでもお問い合わせくださいませ。

 

5月14日(土曜日)

 

久しぶりの投稿になってしまいました。

はや5月です。

さて政府はそろそろマスクいらないと言って欲しい。

私自身は仕事中や人と合う時もずっとマスクなしでした。

ただ、相手がしている場合、特にカウンセリングや傾聴の時にマスクをされていると表情がわからないので、気持ちも伝わりにくいものです。

無理にはずしてとも言い難く、心の中ではマスクの必要性を本当に信じているのか!

と叫んでいます。

彼らはきっと政府が言うまで外さないのでしょう。

 

まったく日本政府は困ったものだ。

 

私自身も勇気を出して、外してくださいと言うことにする。

 

今世界はロシアとウクライナでもちきりだ。

ロシア悪。ウクライナ可愛そう、がんばれ。

でいいとは思っていない。

偏った情報の中で普通に生きている若者や子供たちは、全うに生きて行けるとは思えない。

 

言いたいことが言え、間違ってると言える若者が一人でも多く立ち上がって欲しいものだ。

 

2022年1月7日

 

新年あけましておめでとうございます。

いよいよ昨日から仕事始まりとなりました。

今年も私は私らしく、自分に正直に生きるという事を常に念頭に置いてやって行こうと思っています。

さてさて、今年はどんな年になるのでしょうか?

コロナは今だ終息を迎えず、怖い怖いで過ごす方々も多いかと思います。

政府はワクチン打つ打たないは個人の自由。

というような事を発表しましたね。

まずは良かったと思っています。

家庭内でも分断が始まりかけているなと懸念していたところでした。

心に闇を抱えているうえに、ワクチン接種で分断されれば、一層独り暗い闇の底に引きずり込まれて行く事でしょう。

 

最近特に、みんな自分で考えてそして行動に移すということがとても苦手なんだと感じています。

常に周りの反応を気にしながら生きています。

そして多くの人と違えば、自分を殺してそれに従い一人居心地の悪い中で苦しんでいます。

それは良くないよと思っていても、その気持ちを受け止めるのが私の役割です。

そんな時の解決法なんてありません。

子供達が大きくなっていく中で、自分の間違いに気づいてくれる時が訪れるのでしょうか?

日本もさることながら、世界の情勢を見るにつけ、悲しいかななかなか難しいのではないかと思ってしまいます。

教育分野でもはデジタル化をどんどん推し進めています。

右か左かだけではない。

いいねか悪いねだけではない。

解らいない事があれば、まわりの人に聞いてみてもいいのではないか。

本の中から答えらしき答えを探し、自分自身でよく考えてみる事が大事。

 

良く考えよう!

私自身もそうしよう。

とつくづく思う今年始めです。

 

 

 

 

 

こんにちわ。

8月に投稿して以来すでに3か月が過ぎてしまいました。

と言うのも愛犬マリーの介護が日に日に大変になっていました。

といっても、コロナがどうなっても私自身変わらず活動は続けてきましたが。

そしてとうとう2週間前にマリーは逝ってしまい、まだマリーが居ない気がせず、心は解放されないままの毎日です。

 

さてコロナは終息したかに見えていますが、寒くなるにつれてまた厄介な事にならなければいいのですが・・・

 

最近の私は、ずっと眞子さん問題を追いかけていました。

2700年続く皇統がこれからもづっと続いて欲しいから。

そしてその事を訴える総理や衆議院議員の選挙戦もウォッチしながらの日々でした。

また、最も気になっている事。

それは

こうして毎日デジタルを駆使しながら、公私共に便利に使ってはいるものの、何だか個人情報がどんどん抜き取られていていると思うと、最低必要限だけに留めておきたい気持ちにもなる。

しかし、献立レシピ、買い物、ガーデニング情報などなどは毎日利用しているといってもいいくらいだ。

まあこれくらいはどうでもいいのかも知れないが、政治、経済、精神論や思想などに関しては私の知りたい情報はほっておいても向うからやって来る。

そして、私は反対の意見や反対の思想を持ってる人の情報は自ら跳ね除け、いつの間にか違う思考を持っている人の意見には耳を傾けない自分になっていってしまっているのではないかと思ったりもする。

 

果たしてこれでいいのだろうか?

ここ数年であっという間にデジタル化が進化し、心と脳を持った人間は恐ろしい何者かに支配されている。

そうはいっても日々一刻一刻と時は流れて私も流されている。

いつも心の片隅にこのままではいけないという思いを持ちながら生きている私。

 

8月4日

毎日暑いです!

 

この1年で我が家の愛犬マリーは介護犬とないり、毎日の私の仕事がまた一つ増えました。

今日も、朝5時からハウスの中から吠えています。

ああ・・・またか・・・

起き上がれなくて助けを求めている!

後ろ足がめっきり弱くなり、全体の筋力も随分衰えて、うろうろ歩く途中もしょっちゅうひっくり返っています。

その場で諦めて寝てしまったりもし、ホントに哀れで亡くなった母を思い出す。

さっきお仕事の途中見に行くと、朝ごはんを食べる途中トレーの中に顔を突っ込んだまま寝ていたが、今もそのままの状態だった。!!

もうすでに3時間以上過ぎている。

 

マリーの心の声を聴いて、今して欲しい事をできるだけしてあげたいと思ってはいるものの、お仕事優先なのでそうもいかない。

 

私もこうして年老いて娘にお世話かけることもあるのかなあ・・・

ああいやだいやだ!

寿命が訪れたとわかったらできれば食べずに過ごしたい。

それが私の人生最後の仕事にしたい。

そんな事無理?

いやいやできるかも・・・

なんてことをついつい考えてしまう。

 

数か月前に婚約破棄した娘は、勢いでもうすでに次の男性と巡り合った。

時代とはいうものの私には理解不能だ。

でもでも毎日が明るく暮らせるのなら、免疫力もつきいいのかもです。

済んだことは過ぎた過去の事。

 

今日は今日、明日は今日です。

今この時が大事です。

 

自分にもそう言い聞かせて、今日も5時起きでガーデニングを終え、汗かいて、美味しい朝ごはんしてお仕事頑張ってます。

 

今週日曜日から火曜日まで、一足早いお盆休みをとって、またまた萌木の村へ行ってきます。

フィールドバレーは;白鳥の湖:です。

山梨の夏のガーデンもとても楽しみです。

4月の時とは随分庭の様子も違っている事でしょう。

 

 

 

6.11

大変長らくのご無沙汰でした。

私はこの間もずっといつもと変わらない生活でした。

ただ、ホームの傾聴ボランティアだけはストップしたまま。

聞くところによると、ホームのお年よりは食事は部屋食との事!

これではますます声を出す事すら少なくなり、人の顔を見る事すら減って免疫力は落ちていくと思われます。

政府がどう言おうと、上に立つ人の受け止め方次第でどうにでもなる事と、私は本当にがっかりです。

私達ボランティアが一人づつ近場のお散歩に付き添うことだってできるのになあ・・・

 

傾聴は話を聴かせてもらう事だけはなく、一緒に歩いたり、お花を植えてみたりいろいろできる事はある。

仲間達の中には誰にも思いをぶつけることができないのか、山で叫んでいる人もいるようだ。

 

本当にいつまでこんな事をつづけるの?

 

コロナは変異を続ける。

うまく付き合っていくしかないのだ。

楽しい事をして、美味しいものを食べましょう。

行きたい所へ行きましょう。

夜更かしをせず、睡眠をしっかりとりましょう。

誰とは言わず、ひとりごちている私。

 

今月の勉強会は21日(月曜日)11時~です。

どなたでも参加可能ですのでお問い合わせくださいませ。

 

2021.4.14

先日のお店の連休を使って山梨県行ってきた。

目的の萌木の村ではまだ草花は芽吹き始めたばかりでお花はクリスマスローズくらいしか咲いていなかった。

 

私はこのガーデンの監修をしているイギリス人のポール・スミザーの庭づくりが昔から大好きだったので、お花が咲いていなくても彼の庭への思いがひしひしと伝わって来る。

きっとここにはホスタが出るわ。とかここはあれね?とか友人と話しながら次の季節の訪れが待ちどおしいね?とか・・・

 

次の日の目的地は県立美術館だった。

この日はとてもいいお天気で風もない。

午前中にお庭をもう一回りしたり、お土産を買ったりしていざ美術館へ。

向かう途中の道路のはるか向こうには思いがけず美しい富士山だ。

ご褒美をもらった気分で感激だった。

美術館の入口の広場からからも富士山。

もう一度感動!!

日本一どころか、やっぱり世界一の山だ。

萌木の村では夏にフィールドバレーをやると聞いているので、絶対もう一度夏に来よう。

 

コロナの自粛はあまり気にせずやる事やって生活してきた私だが、これからも翻弄されず信じた情報を元に生きて行こうと思っているとろだ。

そしていつものように勉強会にもいつもの人がきてくれている。

 

それぞれが、置かれたところで自分と対話を続けながら、仲間と会った時には振り返りや気づきがありでまた明日へと歩いて行くのだろう。

 

子供達は新学期が始まったばかりで、友人が作れないとかクラスになじめなくて行きたくないとか言った声が多く聞かれる。

そんなにすぐに友人ができなくても時間をかけてたった一人でも打ち解け合える友人を作れればいいんじゃない?

そうは言っても、今の子供達は生身で話し合ったり、またある時はぶつかり合ったりする必要はないようだ。

ラインやインスタグラムがあればかるーく友人ができるからだ。

でも中にはにはそれができなくて、クラスの中で取り残されて孤独になってしまう子供たちもいるようだ。

悩んでいるいる子供達こそ、そんな事に惑わされずに自分の生き方を見つけて欲しい。

つくづく自分の学生時代との大きな違いを感じずにはいられない。

 

 

2021・2・10

先日の雪で凍ってしまったジュリアンは今日小雨の中でもピンと咲いている。

「どう?私はめげてないよ。」と言わんばかり。

正に、名もなく貧しく美しくです。

人間みたいに弱っちくないのね?

 

この子は、同じジュリアンでも名前の付いたお高めの子

温室で大事に育てられてお店に並んでいたんでしょう。

シャビーシックな色に惹かれて買ったけど、やっぱり厳しい環境には弱い。

しぼんだまま開いていない。

どうやら、私は育った環境も上の子に似てるかな?

植物は毎日一杯考えさせてくれる。

人に会う事が少なかったこの1年ますます感謝!

  

2021.1.9

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

すでに仕事は開始しているのですが、やっと更新しています。

 

コロナがまた急速に蔓延し、活動自粛を要請されています。

でも私は今までと何ら変わらず、仕事もすべて普通に過ぎていく日常です。

昨年来私のライフスタイルはすっかり変わり、朝2時間の庭仕事がプラスされていました。

今年になってからは、ここ里山ではマイナス気温となり庭の草花たちは朝は凍っています。

かわいそうに思い、ぬるーいお水を少しだけあげると、陽が差して来たらようやく少しシャンとしてくれます。

まるで私の思いを受け止めてくれているように...

本当に愛おしくなります。

 

さて、今年も傾聴勉強会です。

1月11日(月)13時~・費用1000円。

成人の日ですので早朝ひと仕事してからですが、もし参加してみたいという方がおられましたらご連絡ください。

どなたでも参加可能です。

 

昨年学生時代の友人達が孫連れで集まり、楽しいひと時を過ごしました。

ただ天涯孤独のMちゃんは来ませんでした。

一番来てほしい人は来ず、コロナが引きこもりのいい言い訳になるのか、いくら誘っても来ませんでした。

 

ほんのひと時でも一人ぽっちから開放されればと思っても頑なです。

強く思えば思うほど心を閉ざして行くように思います。

子供がいて、仕事があり普通に衣食住に満たされている私には彼女の心の奥深く一緒に歩くことはできないのだろうか?

 

こちらからアプローチすることはしばらく控えていたが、もうこのまま二度と会うこともないのではないかという気さえする。

ふっと、一人で亡くなっていた!何てことが脳裏をよぎる。

 

時々心の中に冷たい風が吹いていく。

 

ああいやだいやだ。

 

 

 

12.6

あれよあれよという間に12月になってしまいました。

またコロナが蔓延とメディヤはうるさいくらいにいっているが、そんな話を尻目に殆どTVを見ない日が続いている。

 

コロナより、私にとってはアメリカの行方の方が気になるところだ。

アメリカ在住の友人はトランプ支持とバイデン支持の二手にきっぱり分かれている。

日々の情報はさておいて、与えられた役割を淡々と果たす事。

 

カウンセリングの仲間達や友人達はどうんな暮らしをしているのか気になりながらも、朝は自分の気持ちを庭の草花に聴いて貰う日々。

そして目の前で生きている草花たちの声を聴いて、「そろそろ剪定?」

「まだお水はいらないよね?」

地植えの宿根草たちは、鉢上げして「咲いてくれてありがとう。来年もきっと咲いてね?」

などなど。

私にとってはお客様と話すよりこっちの方が気持ちが落ち着くのはなぜ?

そう!黙って聴いてくれるから・・・

「ママの気持ち、しかと受け止めました。」と言ってるようだ。

 

傾聴活動は制限されても私には黙って聴いてくれるお花ちゃんたちがいる。

世界中がコロナに翻弄されても、アメリカが混乱しても私は私の役目を果たすだけだ。

12月はクリスマス飾りを出して、お客様へのプレゼントを作って、今月のスイーツはシュトレーンにしてみた。

 

天涯孤独の友人がやっと今月会いに来ると言ってきた。

またドタキャンにならない事を祈ろう。

 

 

 

 

 

9.30

学生時代の友人Ⅿからのメール。

 

コロナ中も彼女の事を気にかけながら、ついつい忘れていた。

彼女には数年前、傾聴療法士の逐語録を書くために協力してもらった。

 

天涯孤独の彼女には女子会の時ではなく、一人でゆっくり心の内を聴かせてもらいたかったからだった。

久しぶりのメールには「仕事があって、趣味もあり日々を忙しく暮らしているあなたが羨ましい」と書いてあった。

 

体がいつも不調で、仕事も辞めざるをえなくなり、そうこうしているとコロナになり、とうとう働く事は諦めてしまったようだ。

 

仕事も、これと言った趣味も家族もない彼女の暮らしは私には想像もできない。

ある時から

会うたびごとに、ああすれば、こうすればとついつい助言めいた事ばかり言ってきた自分は、本当にカウンセラーの風上にも置けない!と反省至極。

あれ以来私は自分の方から連絡は敢えてしないようにしてきた。

 

いつも私のメールの返信には、「頑張ってみるわ💪」といった本音ではないなあと感じさせる内容ばかりだった。

プライドという鎧をどうしても脱ぐ事ができないようだった。

もっとも私の前では脱がないだけのかもしれないが・・・

 

私は「もっと自分の本心を吐きだしてよ」といつも思っていた。

先日のメールの「あなたが羨ましい・・・」という言葉で私は初めて彼女の本音を聞いた気がしたのだった。

 

その言葉の奥には「とても寂しい。寂しくてどうしようもない。」といった気持ちだろうと推測した。

私はさっそく、近く彼女と会おうとと思ったのだった。

 

今度こそじっくり彼女の心と一緒に一時の旅をしようと思う。

 

 

最近つくづく思う事。

 

半年もの間、傾聴の講座もワークショップもキャンセルとなり、気持ちが落ちないようにしないとと思いながら暮らしてきた。

でも私自身はいつもに増して、とても明るく生きてこれたのは何故?

 

以前の投稿にもあるように、コロナ自粛がきっかけで、放置状態だった庭の手入れが始まった。

庭の隅っこに、土がかちかちになって、何も植わっていない鉢が出てくる出てくる!!

その鉢をひっくり返して、土を入れ替え季節の草花を寄せ植えにする事が毎朝の日課になった。

 

雨が降ったり、カンカン照りの日が続くと大丈夫かなあ?と気になって仕方がない。

娘が母親の愛情が欲しい大事な時に、私は仕事にかまけて愛情を注いでやれなかった。

 

今でもずっと後悔している。

娘に申し訳なかった。

今私は償いの気持ちを植物達に注いでいる。

そして毎朝話かけている。

娘はそんな私の気持ちをわかっているようだ。

本当にごめんなさい。ごめんなさい。

 

 

 

8.5

全国的に感染者が増えてはいるが、今までどおり付き合いながら日々の暮らしは淡々と与えられた役割を果たそうと思っている。

仕事終わりでホッとした時NHKニュースをチラ見したらもうあとはPCで情報入手などなど。

 

先日久々に娘とぶつかってしまった!

ああ・まだ私達親子はそうなのか・・・

ここ最近はこんな事もあまりなく平穏に過ごしてきたので、がっかりだ。

 

でも以前のように私の心はざわざわもせず、ちょっと出かけて帰れば元に戻れる。そんな気がした。

2時間程の外出から帰宅すると、私の夕飯が用意されていた。

私「ありがとう。作ってくれたん?」

娘「うん。さっきは言い過ぎたわ、ごめんね。」

私「ううん。ママも思いやりがりがなかったわ。ごめんやで。」

記憶の中に、こんな言い争いの後娘の方から謝ってくれた事はおそらくなかったような気がする。

 

傾聴の学びのきっかけをくれたのは他ならず娘だった。

そしてそんな娘は、私以上に成長したんだなあと感動したのだった。

 

コロナ騒ぎが続く中、最初から私はなぜか感染しないと思い込んでいたし、感染させない行動すればそれでいいんだ。と生活してきた。

しかし、コロナ渦の中で娘の生活は公私共に変化があった。

その事に私は無頓着過ぎた。

人はみんな違う。という事を改めて教えてくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.28

サロンをリニューアルしてはや13年目となった。

サロン入口のデッキをやり直してもらうにも雨が降ったり止んだり、じゃじゃ降ったりでなかなか進まず、ようやくほぼ完成。

私はといえば、仕事前の2時間は雨の日もカンカン照りの日も庭のお手入れだ。

夏は夏の花を植えたり、ドクダミ除けの堆肥を撒いたりの日々。

さて、先日は仲間からのラインで思いもよらぬ告白を聞き、私はしっかり傾聴できていない自分を戒めた。

その自分と対峙するためにももう一度ちゃんと傾聴し直すためにもある本を読み直した。

それは姜尚中先生の「心」だった。

あれはたしか3.11の震災の直後の出版で、息子さんの自死からあまり時を経ず書かれた本だった。

当時私は心が捻じれるような思いを経て、もう一度生き直そうと誓った先生の壮絶な心の闘いに泣いたのだった。

先生がこの本を書くきっかけをくれたのはある一人の青年からの手紙だった。

仲間の投稿を機に、私はもう一度あの感動を呼び覚ましたかった。

人は本当に一人では生きられない。

自分は誰かのために、誰かが自分のために。みんな何処かで誰かのために生かされている。

だからこそ、亡くなって行く人の人生は決して無駄に生きたのではない。

里山の暮らしの中で、コロナなんかなんのそので生かされている私に、降ってわいた良いチャンスを与えてくれたその仲間に心から感謝したい。

7.23

前回の投稿から随分たってしまった。

1カ月はあっと言う間だ!

この間、思う事たくさんあった。

傾聴の仲間達の日々の詳細まではわからないが、それぞれの場所でコロナと共存しながら生かされている事を想像しながらみんなの顔を思い浮かべていた。

 

日本は今また違う局面にきて、いろんな専門家の話を聞いて自分なりの生き方を模索中だ。

ただ私は最初から、「感染しない。もしくは感染して抗体ができている。」そんな気持ちでやってきた。今また感染者が増えていても特別心配などしていない。

 

里山の中での日々の暮らしは公私共に快適で、夏は特別リゾート気分。

何処かへ行くとしたら、海の見えるところかなあ・・・

娘と淡路島でも行こうか!なんてのんきなもんだ。

今更あたふたしてもしょうがない。最初からしていないが・・・

 

ただこれからの日本の経済はいったいどうなっていくのかと、そちらの方が気になる。

政府の話は「はーーーー!っ」としか言いようがない。

全く、テレビいらない!

今日本の底力の見せ時なのに・・・

残念でならない。

 

いやいや

心を外に向けず、内に向けよう。本当の自分と対話しよう!!

 

 

先日のお休みに娘を誘ってベンハー観てきた。

若い頃から何度も観ていたが、今若い人に観て欲しい映画だ。

人間の悪の根源に向き合う時。コロナが教えてくれた。

旧約聖書の話を題材に架空の人物を通して、神の存在と真に信じる事が人を幸せへと導いてくれる。

果たして今世界中の人間が今後どう生きて行くべきなのか?

今この時に、是非観て欲しい映画だ。

6.4

ようやく自粛からの解放。

が、自粛癖がついてしまったようで、時間があれば今だに庭の手入れに勤しんでいる私。

ここ数年間気になりながら手入れもそこそこに庭をすり抜けていた。

 

コロナのおかげで元気のなかったバラや草木が少しづつ甦り、まだまだ大丈夫と希望が湧いて来る。

人類が未知のウイルスに翻弄されている間も植物達はけなげに生きていた。

それに引き換え人間の無力に愕然とする。

さあ、私も仲間達もそして植物達もみんな元気を取り戻して、生きて行こう!!

 

10万円もらっても国民が消費しなければ、次は消費税減税となるなんていやらしい考えもあったが、政府はこの期に及んで、緊縮路線では日本が滅びると観念したらしい。

いやはや、よしよしだ。

第3次は減税となれば良いが・・・

 

 

5.15

昨日の政府の発表で、まだ大阪、京都、兵庫は解除されていない。

私達仲間の活動拠点なのだ。

 

TVがいう感染者が何人増えたとかいう情報はあまり気にしない。

もっぱらネットの登録番組で、情報を収集していて思う事。

 

今後また感染が広がるかも知れない事を予測して、しておくべき事を確認。

感染しにないために

1適度に日光浴をして、ビタミンⅮを蓄える。

2毎日果物などからビタミンCを取り入れる。

3腸内環境を整える。

4ちょっと熱があると気付いたら、暖かくして横になり、汗をかく

 解熱剤を、飲まず熱を出すために冷やさない。(人間はウイルスと戦うためには熱  を出す)

5消化しやすい食事を軽く取るだけに留めておき、水分を補給する。(何も食べなくてもいいと個人的には思っている)

*ウイルスに打ち勝つために、余計なエネルギーを使うような事を極力さけるということなので、とにかく無理して動かず横になる事が大事。できれば暗くして眠った方が良い。

普段健康な私ならこれで大丈夫!

 Ⅾr.石黒からの今日の情報だった。

 

この数か月の間に日本と言う国の事、日本人の事、世界と日本の関係、日本の歴史、日本の経済、日本の政治。

などなど日本の事を知るきっかけとなった。そしてもっと知りたいと思うようになった。

私だけでなく、多くの日本人がそう思ったのではないだろうか。

一日も早くいつもの生活を取り戻し、また傾聴活動を再開したいものだ。

なんだか自粛が染みついてしまったような気がしないでもない。

いやいや、もう日本は大丈夫と思いたい。

 

 

4.23

最近スカイプで仲間と少しづつ繋がれるようになった。

仲間達は自分の以外の家族が居たり、また本来別居の家族が帰って来たりで、いつもとは違う生活になっている人もいる様子。

私は相変わらずのいつも通りの生活だが、つくづくこの生活って本当にお金を使わないんだなあと感心している。

 

週に一度の必需品の買い物くらいで、電車も乗らない。高速にも乗らない。何にもいらないのだ。

こんな事が続けば、日本の経済は大打撃だ。国民がお金を使ってこその資本主義なのに・・・

10万円もらって、家賃に消えたり、生活費に消える人もあるだろうが、何しろもらっても使えるところもないのだから・・・

と言うより、私は10万円もらってもできる人は使わない方がいいとさえ思っている。

だったら消費税減税しか道はない!となったらなあ・・・

政府に対する怒りも日ごとに増してくる。

あのマスク、私は届いたら総理官邸に送り返すつもりだ。

 

みんなそれぞれがいろんな思いを抱えながら日一日が過ぎていき、今日も無事だった。

と胸をなでおろしているのではないだろうか・

何でも言い合える友人にも今は会えない。

じゃあせめてスカイプででも繋がろうよ!

普通の生活が戻った時、心だけが置き去りになってしまってはいけない・・・

 

4.15

政府の要請によって、私の予定は殆どキャンセルになった。

勿論、強制でなくても日本人はできる。

しかし、会えるはずだった人達が日々の窮屈な生活の中で心が徐々に疲弊していくのではないかととても気になる。

そう言う私はといえば、本業はいつもと変わらずできている。

できるだけ、時間の有る時は庭に出るように心がけながら。

現在、企業や政界もスカイプやズームの利用が増大しているようだ。

勉強会やカウンセリングでも利用したいが、正直、ここはちょっと躊躇するところだ。

使い方によってはうまく、誰かと繋がれる訳で、私は今仲間達に呼びかけを始めた。

 

そうこうしている内に私は、一番繋がりたいのはこの私なんじゃなかと思うようになった。

 

先日娘と二人だけのささやかなお誕生日のケーキを買ってお祝いをした。

姉がレストランの予約をしてくれていたが、このご時世でキャンセルとなった。

主役の娘がタコ焼きを作ってくれて、私は上げ膳据え膳でラクちんさせてもらった。

こんな中でも、時として口論になる。

私と娘はもしかして共依存なんじゃないか?

一人暮らしの私と娘と姉。

3人とも経済的には自立している。

3人とも決して譲らない。

だから、3人が集まる時はきっとみんな気合を入れ、呼吸を整えるのだ。

きっときっとみんな寂しいんだ。と何だか今日急に思ったのだった。

 

 

 

 

 

3.25

 

我が家の桜はピンクの蕾を膨らませて、コロナなんぞなんのそのと開花を待っているようだ。

休日にエイヤ!!とラクちんな庭に変えるべく砂利や玉石をどっさり。

慣れない軽トラを借りて運ぶも、ガタガタ音が鳴り響きひやひやしながらも終了。

さてさて、どこから手を付けようか?

まずは、数年前にひいた玉石を雑草をかき分けてほじくり出した。

なんと!ゴロゴロ埋まっているではないか。

今回はケチらず、多めにひいて雑草抜きの場所を小さく確保しないと。

こんな事をしている間の私は手は動かしているものの、自分との対話の時間で首は凝るけれど結構好きな時間なのだ。

ふと・・・

もしかして私はいつも「自分は間違っていない。」と思い込んでいるのではなかったか?

先日の娘とのやり取りや仲間とのメールのやり取りで、「常に自分を正当化していた。」

のではないかという思いがよぎったのだった。

それは正に自分中心だ・・・と

人はみんな違うという事は、ワークショップの中でもいつも注力していて、自分だったらこうだああだという事は横に置いていた事なのに・・・

自分を横に置いていなかった。

透明人間になって人の心の奥深く襞の中まで入っていかないと、人の心の本当の部分はわからない。

言うは易し・・・

久々の庭仕事は私にとってとても大切な時間だった。

 

3.19

 

 お客様でもあり友人のTさんとの会話。

チャイナウイルスの拡大で、経済は世界的危機に直面している。

私達は共に、こつこつ積立てで資産形成している仲間でもある。

現在の状況が永遠に続く訳ではないとわかってはいても、二人が口を揃えて言った言葉は

「20年若かったら良かったよねえ?」だった。

 

粛々と積立投資している人にとって、:年数が味方:は基本の基本のセオリーなのだ。

要するに積み上げてきた資産が減ってまた元に戻すには年数が必要なのだ。

私達二人にとっては取り崩しの時期が数年後に来ているという年齢なので、

形成の年数があまりない!

 

悠々自適の友人と違って、私は働いて働いて働き続けて今日まで生きてきた。 

私個人的には労働年数が延びてしまった!まだまだ働きなさい。  という事なのだ。

「まいっか!まだまだ働きますわ。」

 

傾聴から遠く離れた話になってしまったようだが・・・

でもでも???

 

*一つの事に囚われない。

*現状を丸のみ。

*全てを受け入れる。

*抗わない。

 

これって私の書いた人生脚本の柱そのものだっと思えるのだった。

 

 

3.03

第786回大阪ワークショップが無事に終了しました。

コロナウイルスの蔓延で開催決行のサインを松本先生に頂くまでの私は、事務局としての立場と弟子の末席にいる立場で心が折れそうだった。

直前政府は幼.小.中学校の登校禁止要請を発表した。その発表を受けて、中止するべきだと伝えてくる会員もあった。

しかし私は先生の決定にお任せするものの、開催決行を待ち望んでいる仲間たちの顔を思い浮かべ、中止しましょうとは言えなかった。

高齢の先生はいつもと変わらず全大会は終始した。

二日間のワークが終わり、皆さんいつもより一層とても明るい顔に見えた。

そしてこんな状況であるにも関わらず開催決行してくださった先生に対する感謝の思いだったのでしょう、多くの参加者が先生を見送ったのだった。

私にとっても忘れられないワークショップとなった。

 

2.19

先日の傾聴勉強会で仲間に話を聴いて貰っている内に、私は姉に対するコンプレックスが今の私達姉妹の関係を時としてまずくしている事に気づいたのだった、。

姉は勉強が良くできて、体も私よりは弱かったようだが、おとなしく自分を誇示せず控えめな人として生きてきたように思われる。

母はそんな姉を大事に大事に気付かってきた半面、私はおてんばで、でしゃばりで、勉強はそこそこに活発な子供だったので、ほっといてもいい子だったようだ。

大人になってから私は若くして恋愛結婚し、子供もすぐにでき、古い風習の残る大阪の片田舎で仕事をしながら舅、姑の苦労も重なったが、根っからの負けん気を出して生きて来た。姉の方は結婚は遅く自分の思う人生のキャリアを積み上げってきた。手に職の私と知識レベルの各段の差を感じながら

いつかしら姉にものを言うときは、馬鹿にされないように一呼吸おくような習慣が身についてしまったようだ。馬鹿にされたと思ったとたん、私はつい感情的な物言いになってしまう。そんな時姉は低い声でぼそぼそっと諭すように反論するのだ。その物言いが私はますます嫌いなのだ!

いつかしら私は、できる事なら距離を置いておきたい。母を亡くしてからはますますそう思うようになった。多分自己保存・自分を傷つけたくないという事なんだろう。

その上、メールが来た時も場合によっては既読だけで返信しなかったり、するっと簡単な返信だけ返す。もっと一杯返して欲しい気持ちが伝わって来る時程そんな事をする。要するに意地悪をしたくなるのだ。そんな自分が好きではないが、ついついしてしまう時がある。

深堀りすればもっともっと、それは何故か?わかってきたのだが、今はこの辺で留めておこう。

 

 

2.14

もう2月半ばか・・・

大変大変!

大阪ワークは今年ではや4回目となる。といっても学会では686回目だ。

なんと50数年間続いているわけで、我が恩師は94歳になられるがいまだ現役です。

人生100年時代を既に生きておられる。

カウンセリングワーク・ショップに参加することで問題解決や病気から解放された方々も数えきれないほど。私もその一人だ。

馴染みの方や初めての方など、全国からおいでになるので事務局の私にとっては責任もあり楽しみな日でもある。

一生懸命聴いてくれる人の中に身を置くと、いつもの自分とは違う自分に遭遇したり発見したり。

ここは異次元の世界と言ってもいい。

2月29日~3月1日 詳しくはニュースをご覧ください。

 

2020.2.5

今週末愛知県知多半島の入口へカウンセリング・ワークショップに参加してきます。

心の中をスッキリ浄化させてきます。

 

ここの所心穏やかに過ごせている。

私の苦しみの中心であった娘が一人暮らしを始めて半年になる。

彼女に数か月前男性とのお付き合いが始まったようだ。

彼女に笑顔が甦った。女性としての喜びが日々の生活に充実感も加えられたということか。

自分の喜びが誰かの喜びに繋がる。

そして誰かと誰かが一つの苦しみからも解放される。

娘「最近お菓子買ってないの?」

私「あまり食べたいと思わなくなった。」

娘「ストレスが無くなったから?」

私「そうね?最近ストレスあまりないかも・・・」

娘「一人の方がストレスないという事か・・・」

私「そうかもね?」

娘「・・・・・・」

私「距離を置いた方がうまくいく母娘もあるってことね。」

 

こんなやり取りだったが、娘もそう思っているに違いない。